めざせリア充!珍道中。

今は非リアな社会人。リア充への道は険しいけれど、毎日精進。あれこれといった考え、スイーツ、ハロプロ、猫、とにかく雑記ブログ

自動車と認知症の話

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どうも。ごまんといるです。 さて、ブログを始めた当初書こうと思ってネタを温存したものがあったのですが、今回はそこに絡めたお話。迷っているうちに、若干旬を過ぎてしまった気もしなくは無いのですが。書いたので出してしまいましょう。

 

 

自動車と認知症の話

 

 

先日、Twitterでタイムラインにこんな記事が。

 

news.yahoo.co.jp

 

自動車に関しては、書こうと思っていたのです。そこに、認知症の要素がプラスされたこのトピック。これは色々と実体験含め、思うことがあったのでちょっと書いておこうかなと思いました。と言うわけで私の考えです。

 

結論から言うと、私はこの医師たちの『認知症=即免許の剥奪乱暴』という意見には賛同できない。認知症という名がついている、認知能力の低下が症状になっている病気の患者は、早めに、そうで無くっても高齢者に関しては一定の年齢で免許の返納はするべきだと思います。

まあ、高齢者でなくても本当は数年ごとの技能検査を義務付けるべきだと思いますが。

 

 

公共交通機関が貧弱

田舎は特に、貧弱です。不便だから使わない⇒自家用車が増える⇒使用客が少ないので運行を減らす⇒不便だから使わない。まさに負のループ。

公共の交通機関をもっと拡充させるべきだと思います。本当に高齢者や認知症患者に自分らしい生活をおくってもらう為には、こちらの方がむしろ力を入れるべき。田舎暮らしの自分からすると、確かに車が必要なのはわかります。しかし未来を見据えて変えていくべき。

 

今から10年前、バスと電車を乗り継いで通学しようとしていた頃です。最寄りの駅までバスを使い、その後学校までは電車を使う。その計画でした。しかしバスの停車時刻と、電車の運行時間が全く噛み合っていませんでした。

バスや電車は一時間に二本で、しかもバスが駅に着くのは電車が発車した5分後

つまり駅で40分近く待つのです。学校まで車で送ってもらえば30分も掛からないのに。

そのせいで友人との通学も、友人たちと学校帰りに遊びにいくのも、泣く泣く諦めたのです。

それが最近になって、電車が止まる時間に前後したバスの運行へと改善されました。試しに、母校まで行ってみましたが所要時間は桁違いに短縮されていました。

 

今後、超高齢社会がやって来る日本ではやはり、公共交通機関をもっと拡充させるべきだと思います。タクシー券がもらえたり、バスの割引券も貰えたりしますが、運行間隔のちぐはぐさで使わない、という人は多いはず。

どうしても車を使わないと不便。その気持ちもわかるのですが、やはり老いには勝てない。何十年と運転して、技術や感覚が身に染み付いているのもわかりますが、絶対にからだと脳は老いていきます。

 

現在85歳の私の祖父は80歳の時に返納しました。というのも車や運転が好きで、ちょっとした買い物や外出には使用していました。しかし、未だに認知症にはなっていませんが、事故を起こしてしまったのです

幸い人を巻き込むことはなく、対物で済みました。ニュースでよく耳にするあれです。

コンビニの駐車場でアクセルとブレーキを間違えたと言っていました。

祖父は運転と、自分の判断認知には自信があったのに事故を起こしたことで怖くなり、返納することに決めたそうです。

 

映画 アナザープラネット

私は、運転に関して他人からは「乗ってて怖くない」と言われますが、自分では決して上手くないと思いますし、絶対に慢心せず丁寧に運転しようと心掛けています。

と言うのもですね、もの凄く車酔いしやすく、父の運転が雑で毎回酔うというのを経験しているのもあります。

 

しかし何よりも、自分の中に強く印象の残る映画があります。

 

数年前に、教習所へ通う数ヵ月前にたまたま録画して見ていたのですが「アナザープラネット」という、洋画です。

あらすじはこんな感じです。

 

17歳でMITに合格した秀才のローダはある夜、見たこともない惑星が空に浮かんでいるのを目撃する。それに気を取られた彼女は車の運転を誤り、妊婦と幼い子を死なせてしまう……。4年後、刑期を終えたローダは謝罪のために、被害者家族のジョンを訪ねる。だが、思わず身元を偽ってしまい、本来の関係をよそにジョンとの交流を深めていく。罪悪感に追い詰められていくローダだったが、謎の惑星は自分と同じ人間が存在する<もう一つの地球>だと知り――。

 

交通事故で人を殺してしまった主人公が遺族のもとに行って、交流するようになるというのが物語の主軸なので、序盤でこの交通事故のシーンがあるのですが、結構ショッキングだったんですよね。

飲酒運転+わき見運転。

 

あ、そうか車って殺人兵器なんだ。って改めて思ったんです。

私はこの映画を免許をとる前に観ておいてよかったと思っています。常に、緊張感を持っていられるから。

 

自動運転技術が一般的になっても

自動運転が盛んに取り沙汰されていますが、私は根本的には免許制から変更することはないと思います。もしもの時に、自分の手で運転することが求められるはずですから。

制御システムがハッカーに乗っ取られることは現にあります。

wired.jp

 

その他にも、地球環境の悪化でオゾン層が破壊されれば、宇宙からの様々な刺激が直接地球に影響を及ぼします。または北朝鮮のミサイル開発のニュースでも話題になりましたが、電磁パルス爆弾。これも厄介です。

地球の磁場が変化するとか、電磁パルス爆弾か何かで攻撃されるとか、GPSが不能になる可能性だって十分にあります。GPSは自動運転システムの肝です。つまり、自動運転にも弱点はあるということです。

もしもの時には必ず自分の手で運転、操縦することになる。だからこそ、自動車という存在の影響力をキチンと認識しておくべきなのではないでしょうか。

 

認知症の祖母

私の亡くなった祖母は認知症でした。発症してから10年近くは経っていたと思います。 結構進行してから亡くなりました。 幸い徘徊はしなかったので、それだけで一安心だったのをはっきりと覚えています。最後はほとんど誰のことも認識できず、顔は笑っているのに虚ろな目で一日中壊れたラジオのように話続けていました。

正直、私はそれが怖くてなかなか祖母の元に足を運べませんでした。

 

一番最初に祖母の記憶から薄れたのも私でした。その時はまだしっかりしていて、ちょっと物忘れが激しいな、くらいの感覚でした。

家に用事があり、誰かを呼びに来ても他の兄弟と両親の名前は呼びます。

 

Aくん、Bくん、Cちゃん(父)、Dさん(母)。

 

 

必ずここで終わるのです。何とも言えない寂しさと言うのか、切なかったです。

兄は一人暮らしをして家を出ていたのに。それでも、ずっと家にいた私は名前を呼んでもらえない。終いには、祖母の妹が東京に住んでいたので、東京の子?と言われました。自分の孫とは認識できないのです。

久しぶりに帰ってきた兄も、祖母は私たちの父に同じように「東京の子なんだって」と嬉しそうに話すんです。兄は久しぶりに会った祖母にそう言われて、顔が引きつっていました。私は笑って「そうなんだね」と言うしかできませんでした。

祖母が亡くなっても、未だに忘れられません。

 

進行のスピードは人それぞれだと思います。祖母は最初はゆっくりと、それでも確実に病が進行していくのがわかりました。軽度の頃は買い物に出掛けて、家に帰れないこともありました。幸い田舎なので座り込んでいるところに近所のお兄さんが声をかけ、家まで送ってくれて、無事でした。

最後の方は、自分の娘も息子もハッキリとは分かっていなかった。食事も食べさせてもらうしかないし、トイレもお風呂も介助が必要な状態。歯磨きも手伝わないと自分では出来ないし、マウスウォッシュも飲み込んでしまうほど。

 

とにかく家族、親戚、全員が疲れ果てていました。私は正直、亡くなったときも、寂しさや悲しさよりも安堵の方が大きかった。ゆっくり休んでね、と。もっと生きていて欲しかったとは思えなかったんです。

 

高齢社会を誰が支えるのか

正直な話、自分らしい生き方をそこまで求めるのか、と思ってしまいます。定年退職して、孫の顔まで見たような高齢者のかたが、自分らしい生き方をしてこなかったわけがないと思うのです。

自分らしい生き方をするのは社会を支える若者や、未来ある子供たちに譲ってあげるのはどうでしょうか。

冒頭の記事でも運転サポートを付ける、という案も出ていました。しかし、そこまでして運転させるのか。

 

両親の介護が必要になり、仕事を辞める人がいる。金銭的に苦しくて子供を持つことに不安な夫婦がいる。決して裕福な暮らしができる程の給料ではない若者がいる。残業ばかりで体も心も悲鳴を上げている人がいる。高齢社会になり、出生率は横這い。若者の数は減る一方。今よりも一人当たりの負担が増えるとわかっているのに。それでも、自分らしいくらしを守るため、免許の剥奪に異議を唱えるのでしょうか。

 

自分らしい暮らしを諦めざるを得ない人たちが山ほどいるのに。

 

最後に

もしもの時、加害者側も被害者側も救われないと思います。すべての責任能力を持たなければ。認知症だから、というのは免罪符にはなりませんし、冷たい言い方かもしれませんが、糾弾されるであろうことは考えていないといけないでしょう。

 

本当に、認知症=即免許剥奪乱暴だと意見するならば、徹底的に検査する体制を整えることから始めてみたらどうでしょう。認知症診断されれば、月一回は技能検査をするとか。もしくは、車側に危険運転が見られた場合の補助システムを付けるとか。その車以外は運転できないとか。

 

しかし一番は、公共交通機関の改善だと思います。

とにかく今のままで、認知症でも個人差はあるから運転できるとして意見するのは危険過ぎるのではないかなと思います。

 

というわけで、上手くまとまりませんでしたが、書いたら出すと決めたので。

今回はこの辺で。ありがとうございました。