めざせリア充!珍道中。

今は非リアな社会人。リア充への道は険しいけれど、毎日精進。あれこれといった考え、スイーツ、ハロプロ、猫、とにかく雑記ブログ

気付いた人がやるということのリスク

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どうも。ごまんといるです。

あまり調子が良くない+書くことが分からなくなったので少し雑談を。

 

気付くゲームのなれの果て

 

「気付いた人がやる。」

 

結構口にしがちです。というか、気付くことが美学のような感じ。これは私が小学生の頃に植えこまれた意識だと思います。

その日の最後に、帰りの会で学友の良かった点を発表する。もしくは、貼る紙が用意してあり、善い行いに対して書いて貼る、というものでした。

 

例:『今日、ゆうたくんが花に水をあげていました。いいと思いました』

  『掃除のときに、えみちゃんが机をどかしてくれました。今度はわたしもやろうと思いました』

 

 

つまり、自分の生活に注視されるように、他人の生活に注目するようになる。

人よりも多くその紙が集められる=いい子の称号を得る。

ゲーム感覚で、物事に対して善い行いをするようになる。それが目的だったのでしょう。

 

これはもちろん、素晴らしいことだと思います。

この他にも、5分前行動とか。早め早めの行動が身に着く。

 

しかし、良い子であることを求められすぎてしまったのかな、とも思うのです。

人の良いところを見つける、自分がこれだけ人を見ているのだから他人も自分に対してそれだけ注目しているのかもしれない。

 

自意識過剰の種がここで植えられた気がする。

 

人の目を気にするようになってしまったのです。

常に自分の感情を押し殺しているような感覚。

 

風呂の水垢がある。でもそれを掃除するのはいつも自分。

「気付いたときにやるんだよ」と言われても、自分が放置して綺麗になることはない。

つまり、気付ける人と気付けない人がいれば気付けない人だけが得をする。

 

気付ける人は損をして、汚い水垢に精神まで削られる。

 

 

これってなんか嫌な感じ。

 

 

結局、自分を押し殺して水垢掃除をするしかないのです。

気付ける人に育ってしまったから。

 

 

 

やっぱり当番制、導入しようかな。

 

今回はこの辺で。ありがとうございました。