めざせリア充!珍道中。

今は非リアな社会人。リア充への道は険しいけれど、毎日精進。あれこれといった考え、スイーツ、ハロプロ、猫、とにかく雑記ブログ

反省の意を述べるのか。ってなんか笑える

こんにちは。ごまんといるです。

昨日の国会閉幕の記者会見ありましたね。これが夕方のニュースで生中継されていたのですが、

 

何とも不思議だなと思いまして。

 

リポーターが「反省の意を述べるのでしょうか?」って煽ってるんですよ。

反省の言葉を述べるのか。テロップにもそう書かれていて。

果たして自分は反省の言葉をここまで求めているのかと、そう思って。

 

 

記者は国民の代表とかいうツイートが炎上したじゃないですか。

 

 

じゃあこのリポーターの「反省の言葉を述べるのか」という意見もやっぱり国民の代表、国民が求めているものということになるのでしょうか。

 

なんか、笑えてしまったんですよね。

反省の言葉って、そこまで求めるかなあと。普通に暮らしていて、

「反省してる?」

て、なかなか言われない気がして。

反省の言葉よりも、内省的な部分を求めていると思うんですよ。

別に「反省しています」って言われるより今後の解決案を提示したり、問題部分を解決することの明示をする方がいいと思うんです。

 

結局口だけの反省になっている感じですし。

 

まあ、これはそんなに書きたいことではないので今は省きますが。

でもそのあと、逆に考えてみたんです。

 

 

なぜ反省の言葉を求めるのか。

学校とか、特に小学校とかだと反省してるのか聞かれたり中学以上だと反省文を書かされたりしますよね。これって、何故なんでしょう。考えさせるよりも、「反省しています」の言質だけが求められる。不思議ですよね。

 

何がいけなかったのか、とか今後どうするのかとかよりも

まず第一に「反省しているのか」そう問われます。

 

でも、意外とみんな自分からは言葉にしてる。

私は特に大人ぶりたい子供だったので、忘れ物をしたときなど

「反省しています」「以後気を付けます」

が口癖でした。

でも、このおかげで先生からの信頼は厚かった。正直ちょろいわ、と思っていました。これだけで怒られないなんて。

 

裁判でもありますよね。

被告人は「とんでもないことをしてしまった。反省している」と述べた。みたいな。

 

反省の言葉を自分から使うことはある。でも、もし使わなかった場合。

周りの人たちは疑心暗鬼になるわけです。

「こいつ本当に反省してるのか?」

「自分のしているのことが周りにどれだけ影響しているか解ってるのか」

「事の重大さを理解しているのか」

 

こんな風に。

 

でも人間なんて単純だし、意外と情けを大事にしてる。そこまで冷徹ではないですよね。

「反省しています」そういうだけで、何とか次につなぐだけの温情を掛けてもらえるわけです。

だから、反省の言葉を求められたときはチャンスだと考えるべきだと思いました。

周りの疑心暗鬼はものすごいプレッシャーになりますし組織の歯車を止めかねない。

それってものすごく効率が悪い。私が怒られるのが嫌いなのは、引きずるから。

怒るって、ものすごく負の感情で、それにやられるんですよね。精神的に滅茶苦茶キツい。その時間が無駄になるのが嫌だから。叱られるのは良いんですけどね。

 

 

そうか。反省しているのか、という人は問題が起こった地点を効率的に乗りこえようとしているのかも。気をもんでいる時間が無駄だから、早く本題を進めようぜ、そういうことかもしれません。効率厨なのか。

 

なるほど。じゃあ私は、これから「反省してるのか」という人を嫌いにならないようにしたい。

 

もちろん、心から反省するべきだと思いますよ。何かをしでかしたときは。

口だけで終わってはいけない。これは大前提です。

でも、切り替えが大切だと思うなら「反省しています」と言ってしまうべき。

言えない人には「反省しているのか」と求めても良いのかもしれません。結果的には丸く収まるし、進捗はスピーディーになるかも。

風当たりの強さとか、面倒ですからね。

 

というわけで。今回はこの辺で。

ありがとうございました。